こんにちは、元漫画講師のしゃど地蔵です。
このたび2024年春からおよそ1年間務めさせていただいた漫画講師を正式に辞めましたので、本日はその理由について詳しく解説していきたいと思います。わーい無職だー!たーのしー!
年末年始にXでもぼやいてましたけど、まだ出講日が残ってたので詳細は伏せていたんですよね。今明かされる事件の真相。この記事ではその経緯や感想を詳しく説明します!
3行で書きますとこんな感じです。
・課題提出時に悪戯でしゃど地蔵に意地悪コメントをする生徒(クレーマー)が一人いた。それがSNSの監視にまでエスカレート。
・学校側は「客商売」を優先して喧嘩両成敗の立場を取り、生徒を刺激しないようにSNS自主規制をしゃど地蔵に対して要求した。
・悪者扱いされるのはだるいので辞めた。元々漫画家として講師業は時間と労力の浪費であり、趣味のボランティア活動みたいなものだったので無理して働く理由もない。
というような感じでした。
ここから色々と説明しますけど、「生徒さん」と「学校」を悪者にしたいわけじゃないんですよね。やってることはクレーマーだったけど子どもの悪戯だし、学校の担当者さんは自分の仕事をしてただけです。でも、黙ってるのもストレスが溜まりますから、記事にして愚痴らせてください。しゃど地蔵の名誉を守りつつ、詳しい経緯を説明をするために本記事を書きましたが、告発とか名誉毀損の意図はありません。誤解なきよう。
個人の特定を防ぐために詳細は伏せますが、その生徒(クレーマー)の意地悪とは何なのかざっくり説明しますと、課題提出時のコメントでちょくちょく、授業や僕の言葉尻の粗探しをして被害者ぶった文句を送ってきたり、星1~5を選べるフィードバックの部分で1点爆撃をしてました。有名人に対するアンチ活動みたいな感じです。
授業中は大人しいんですけど、話しかけてもろくに返事しないし、たまに睨みつけてきてて怖かったですね。かと思ったら、急に好きなゲームのキャラクターを聞いてきたりもしてたんで、嫌われてるというより好かれていて、振り回して、かまってほしかったんだと思います。嫌な甘え方をしてきてたわけです。本人の中で「物語」が構築されているけど相手(僕)の気持ちは無視しているような感じで、ああ、漫画家志望らしいなあ…と思いつつ、やってることは単なる嫌がらせで、わりと悪質でしたが、子どもの悪戯として辛抱してました。
僕はひたすら我慢して、愛想よく対応してましたけど、こんなカスタマーハラスメントみたいなことをされたら、誰でも嫌だと思います。それに僕は教師じゃなくて漫画講師なんですよ。漫画を教えに行ってるだけで、機嫌取りは、なんでかサービス精神でやっちゃってたけど、本来仕事じゃないんです。しかし、その生徒さんも、今回の一件で対人関係の距離感について学んだことでしょう。くれぐれも犯人探しなどはされぬよう。
それにしても、僕の担当クラスは高校生でしたから、一人や二人は変わった子がいてもおかしくないわけで、こういうタイプの生徒は、おそらく講師を続けてたら毎年のように現れるんじゃないですかね。
問題は、そういうクレーマー的な顧客が現れたとき、学校がどういう対応をするのか?という点です。そこでちゃんと講師を守るのか、それとも客商売の都合を優先して「お客様は神様」みたいな感じで対応してくるのか。ここでしゃど地蔵が悪者にされてしまうようなら、その学校で働く漫画講師とは「ブラック企業の従業員」ということになります。
結論からいうと「喧嘩両成敗」でした。生徒には悪戯をやめるよう指導し、しゃど地蔵に対しては再発防止策として「SNS自主規制」が「非常に丁寧な形で」要求されました。
なぜ急に話が「SNS自主規制」に飛び火するのかというと、授業中のカスタマーハラスメントについて僕は仕事だからしゃーないと思って我慢してたんですけど(真面目すぎ?)、あるときその生徒さんの監視対象が「Xでのしゃど地蔵のポスト」にまで拡大しました。24時間私生活を監視されて文句を言われるのは嫌すぎ!さすがにムリー!と思って学校に相談した結果、問題が表面化したからです。
学校側の対応は、伝え方は丁寧でしたしトラブルを未然に防ぐためのマニュアル通りの、社内コンプライアンス的に普通の対応だったのではないかと思われます。
というか、しゃど地蔵はあくまでも外部の漫画家で、フリーランスの講師として契約してますから、今回のような問題で「強く命令」したら下請法違反(不当な経済上の利益の提供要請の禁止(第4条第2項第3号))に抵触する恐れありなのではないでしょうか。
それでも、しゃど地蔵のポジションとしては、生徒の悪口とか言ってたわけでもなく、ストーカーみたいなアンチに勤務時間外まで監視されて文句を言われて生きるのは嫌すぎるし、嫌がらせにも笑顔でずっと耐えてきたので、少しでも悪者扱いされるのは気分が悪い。
そもそも一応「芸術家」の端くれとして、「表現活動」は大切にしたいというプライドもあります。Xのポストなんか本当はどうでもいいですが、「SNS自主規制」の要求を受け入れて講師業を続けるのは「表現の自由を金で売る」ことに他ならず、屈辱的な申し出と言わざるを得ません。
学校からは『SNSの検閲』も要求されました。僕が何か学校に関してポストしたければあらかじめ「原稿」を提出し、許可したものだけをポストすることが許されるというシステムらしいです。なんだか第二次世界大戦みたいな話ですね。もちろんこの記事は無許可で行われている表現の自由を守るためのレジスタンス活動です。
自主規制の範囲は漠然としており「クレーマーのお気持ち」で決定されるというのも恐ろしい話です。例の生徒さんの目的は僕に対する「束縛」ですから、こういうタイプの人の要求は、いくらでもゴールポストが移動しますよ。担当者さんはマニュアルに従ってるだけであんまり深く考えてないっぽかったですが、要求は無条件降伏だった。『穏便に働きたかったら「人権」と「表現の自由」を全部差し出せ』というニュアンスのことを遠回しに仰ってましたので、敬語だけど慇懃無礼なフリーザ様みたいで怖いと思いました。
担当者さんはおそらく職務権限がないので、「しゃど地蔵に学校の方針を優しく伝える」という機能しかなくて、僕が死ぬほど嫌そうにしてもぜんぜん譲歩してくれなくて、「決まりは守ってね、空気読んでね」の一点張り。デリカシーなさ過ぎて「表現の自由は勘弁してくれ、それだけは地雷だからやめてくれー!」って最初から何度も言ってるのに、僕が言うことを聞かないとみるや、その場で足踏み運動をし続けて辛抱強く丁寧に漫画家の急所をマッサージしてくれるです。でも、それが仕事ですから、しょうがないんですけどね。その人も会社の規則と僕との板挟みになっていて気の毒でした。
というわけで、イタズラをしてた生徒さんも担当者さんも悪者にはしたくないですが、働いてた漫画学校の「SNS問題対応マニュアル」はある種のバグを抱えており、僕にとって価値のある取引先では無いことがわかったので契約更新せずに辞めました。
わかりやすい辞める理由としては以上です。
さらに個人的な「思想(イデオロギー)」の問題として、きちんと説明したいことがあるので、さらに突っ込んだ理由を以下に書きますね。
しゃど地蔵は「プロの漫画家が講師をやる」という触れ込みで呼ばれてましたから、講師である前に「誇り高き漫画家」である必要があります。
もししゃど地蔵が漫画家でないのだとしたら、それは大変なことになりますよ。漫画学校では漫画を描く「才能がある生徒」も「才能がない生徒」も等しく夢にあこがれて入学してきています。
これは僕の持論なのですが、漫画学校は結局のところ「宗教(イデオロギー)」なんですよ。詳しくは「漫画学校の三権分立」でも述べましたが、漫画学校に通ってもすべての生徒が漫画を描けるようになるわけではありません。数ページでも描けるようになるのは、おそらく全体の3割程度。ましてやデビューできるのは1割、食えるようになるのは1%くらいでしょう。
それなのに数百万円という高い学費を取ってサービスを提供する漫画学校は、一体何なのか。美大芸大ふくめて芸術学校全般が昔から批判されるところです。
科学を教える普通の学校教育や、国家資格が取れる専門学校は「就職」という経済的価値を提供していますが、漫画学校は経済的には99%の確率で金の無駄に終わるから職業訓練とは言えないし、創作論だって「面白さの基準」は人それぞれで「描くための才能」も人それぞれ。科学技術のようにエビデンスに基づく普遍的・客観的な真実性や、実験結果の再現性もないから「学問」とは言えないと思います。文系だとしても面白さという命題の定義が気分次第でコロコロ変わるんじゃ論証もへったくれもありません。
普通のビジネスだったら顧客が支払った対価に見合った価値を提供する責任があるけど、99%がプロになれない教育をして、なぜ堂々としていられるのか?それには理由があります。
人生を賭けて(お金を払って)漫画を描く「芸術活動」は理屈抜きで「尊い」からです。これは学生スポーツが「尊い」のと同じ仕組みです。野球部やサッカー部も勉強サボってボール遊びしてるだけだけど、スポーツ選手は社会的地位が高いですよね。それはスポーツを神聖視する宗教(イデオロギー)で動いてるからです。僕は漫画学校をその漫画版だと考えて、半分は漫画の先生、半分は聖職者のつもりで講師をやってました。
漫画学校とは「宗教(イデオロギー)」であり、「技を盗む才能がある生徒さん」にとって僕はちゃんとした先生だったのでしょうが、それだけの才能がある子は一握り。その他の生徒さんにとっては「漫画家が精一杯わかりやすく教えてくれている」という構図に「宗教(イデオロギー)的価値」があったのです。
しかし、講師の「表現の自由」を尊重せず、「SNS自主規制」を安易に求める学校側の対応は、上記の「プロ漫画家が講師をやっている」という信仰の前提を崩すものです。信者(生徒)からお布施を集める寺院(学校)は、お坊さん(講師)に、宗教(イデオロギー)的な敬意を最大限払わなければバチが当たります。
少し話が横道に逸れますが、ぼくは我ながら真面目な性格ですので、講師としての理想が高く、授業料を支払っている生徒さん全員に報いたいと思っていました。才能がある生徒だけではなく、初心者にもわかりやすく教える事を大切にし、結果として全ての生徒さんが少しずつですがストーリーを考えたり漫画を描いたりできるようになりました。
漫画家志望の9割は漫画を描きません。そして見捨てられていきます。そのことに対して諦めず、「創作意欲の0と1の狭間」に注目して基礎からわかりやすく教えるカリキュラムは我ながら画期的だったと思います。
漫画学校や芸術大学では偉い先生がハイレベルな講義をしていることもあるのですが、そういった場合では逆に「平均的な生徒」はプロのやり方を理解できなくて落ちこぼれ、卒業まで適当に落書きでもして時間を潰すのが普通みたいです。それは回避できたというわけですね。
同時に、才能がある子には、物語の基本的なメカニズムをしっかり教えてあとは自分の頭で考えてもらって、自主制作を頑張ってもらう余地を作りました。明らかな漫画家志望ガチ勢がクラスに二人いたのですが、少年ジャンプの漫画賞に投稿をして二人とも担当がついたし、これは本人たちの努力の結果ですが、一助になれて嬉しかったです。
講義の内容に関しては、また後日まとめて記事にしていきますね。
しかし…それでも、ほとんどの子はプロになれないでしょうから、僕が漫画を教えるスキルでどうにかならない部分は「宗教(イデオロギー)でカバーだ」という免罪符で自分を納得させていたわけですが…
漫画学校から「表現の自由」に関する抗議を軽く受け流され、礼儀正しいけど結局のところ譲歩する気が(というか権限が)ないスタッフさんたちに、高圧的にも感じられるメールやビデオ会議で優しくお説教された僕は、「しゃど地蔵講師」はエライ先生でもなんでもなくて、漫画学校というテーマパークで愛想を振りまくキグルミにすぎなかったんだな、と現実を悟りました。
しゃど地蔵講師が立派な芸術家や知識人だったら「表現の自由」があるはずです。その発言が波風を立てたとしても、偉い先生のありがたいお言葉が理解できない生徒や、愚かな大衆が悪いという話になるか、せめて、ひとつの意見として尊重されるはずです。だけど、アルバイトで雇われたミッキーマウスの中の人がSNSにエラソーなこと書いてたら上司に怒られるのは当然です。
実際、しゃど地蔵は売れない漫画家なので、偉くもなんともなくて、漫画学校というテーマパークで先生役を演じさせてもらって、なんとか偉そうにしていただけだったんですよね。
漫画家を客寄せパンダのキグルミ扱いするマニュアルに従って働くスタッフさんたちは芸術家をリスペクトするフリをしてるけど、それは形だけのものだったんだなと思いました。
僕の中で漫画学校という「宗教」が崩れ始めました。
仏教に喩えるなら「御経」の内容を理解できる日本人はほとんどいません。
それでもお坊さんの読経は、法事とか死生観で人々の心を癒やします。
お坊さんが尊敬を集める聖職者であるかぎり「馬の耳に念仏」とはならないのです。
この、奇跡のような魔法の力。
それが漫画学校にも働いていました。
生徒さんのほとんどは将来、漫画家になれないでしょう。それでも、しゃど地蔵が「偉い漫画家の先生」である限りは、みんなでご利益を信じて、青春の1ページとして楽しい夢をみていられたのです。
気がつくと、僕の目に今までキラキラと輝く荘厳で立派な宗教建築のように見えていた漫画学校の校舎は、打ち捨てられた荒れ寺のようになっていました。芸術家として屈辱的な対応を繰り返し受けてしまった以上、自分がやっている仕事はもう講師ではない、まるで詐欺師だという罪悪感が湧きたち、一刻も早く、講師を辞めたくて仕方なくなっていました。夢から覚めるように…何かの洗脳が解けたかのように…
すっかり僕も講師として、宗教の神輿に乗せられていたわけです。
「お祭り」の最中は楽しかったですけどね。
学校と担当者さんの対応は客商売の営利企業としてマニュアル通りだったのだと思われますが、だったら漫画家を都合よく飼い慣らせる前提で書かれてるマニュアルが悪いし、そのマニュアルでさえ、講師専業の先生たちを統率するために作られたものなので、プロ漫画家にちゃんとした配慮をするというのも無理があるのかなという気もします。
実は、漫画学校において漫画講師をプロ漫画家がやるのは一般的ではなく、イラストレーターさんや、漫画家志望の人が作画技術を教えたりする講義が主流です。普通、ちゃんと連載ができるプロの漫画家は商業の漫画を描いてて忙しいので講師をやりません。他の先生方のことはよく知らないですけど、ガチの物書きじゃない人はあんまりクセ強くないから、今回のような「SNSの自主規制」とか要求されても素直に従うのではないでしょうか?あるいは、いくらでも代わりがいる。それでいつも通りのマニュアル対応をされて、学校側と感覚がすれ違ってた感じがしましたね。
例えば(底辺とはいえ)少年ジャンプで連載しようとしている、しゃど地蔵のような「芸術思想が強いプロ漫画家」は、わりと暇っちゃ暇で、講師には適任でした。ただし、芸術家として扱われないと一丁前に怒ります。
僕が辞めて学校側も困ったみたいです。企業としての利潤追求という意味でも「クレーマーがほじくり返してきた勤務時間外のSNS発言」などという些細な問題で漫画学校のコアパーツであるプロ漫画家講師を逃してしまった「対応マニュアル」は間違っていたのではないかと、個人的には思います。
ちなみに「SNS自主規制」を要求されるのは、漫画学校でも珍しいケースのようです。どこの学校もいい加減なので、講師が放し飼いになっているだけでしょうけどね。逆に、僕が出講してた学校は、悪い意味でマニュアル通り真面目だった。今回は残念な結果になりましたけど、スタッフさんは本当にみなさん礼儀正しくて、いい人たちでしたから。
現在、幸いにも出講していた漫画学校には僕が紹介した連載経験のあるプロ漫画家さんが数名働いているという「確変状態」が起こっておりますが、この調子では優秀な人材が定着するか怪しいと個人的には思います。そもそも、漫画学校で働くプロ漫画家は滅多におらんので、そういう前提でシステムを構築して「扱いづらいプロ漫画家を排除してレアカード無しで運用できるデッキ」(今のマニュアル)を組むほうが結局は正しいような気もしますが…
学校には僕が辞める理由をちゃんと説明してから辞めましたので、今後、同じようなことが起こって、ほかの講師の先生方の「魔法」が解けてしまわないことを祈ります。僕はもう魔法が解けてしまったのでダメです。
以上が漫画講師を辞めるに至った詳細な理由でした。
人から聞かれたら「クレーマーみたいな生徒の肩を持つ学校にプライベートを監視されるのがウザかった」というシンプルな理由を答えますけど、内面としてはこのようなイデオロギー的な問題や、「漫画家vsアンチ&出版社」のように概念をセンセーショナルに単純化して、若い生徒さんや担当者、学校を悪者にしていいのか?という葛藤があったわけです。
(ちなみに、そもそも僕はいつか突っ込まれるなら「漫画学校の三権分立」とかを危険思想として咎められるのかと思ってましたが、どうも今回は「SNSトラブルに関する対応マニュアル」のようなものが誤作動した?だけのようでした。たぶん。)
つーわけで、いろいろ怠かったんで辞めましたけど、漫画講師はいつかまたやってみたいんですよね。僕のストーリー・ネームの講義でみんな漫画を描けるようになってものすごく成果は上がってたし、生徒さんたちとわいわい漫画を描くのは「これ描いて死ね」みたいで楽しかったです。僕は自分を天才漫画家だとはまったく思いませんが、天才漫画講師だという自信はあります。
ただ、そのためには売れない漫画家じゃなくて、売れてる漫画家になって、ちゃんと芸術家扱いされるステイタスを手に入れないと話が始まらない事がよくわかりました。芸術大学とかで講師をやってる漫画家さんのキャリアをみるとなかなかのもんですから、まずは作家として売れて人権を獲得します。そのときこそ満を持して「しゃど地蔵講師」は立派なアーチストとして信仰を集めながら、ひとびとに漫画の描き方を教え広めることができるのです。
おしまい。