今日は「なろう系」と呼ばれるファンタジー作品によくあるタイプの主人公について考えてみたいと思います。
なろう系主人公って、まあだいたい以下のような特徴があるんですね
1・世界で最強である。修行などは基本的にしない。あまり人生について葛藤もしない。
2・美少女たちにモテまくったりいい思いをしまくる
3・主人公になる方法は、異世界転生などで誰でも簡単になれる。
以上です。
画期的なのは3の「誰でも簡単に」とかの辺りでしょうか。普通の硬派な作品だったら山あり谷ありの人生の艱難辛苦を乗り越えて勇者になっていくところ、なんかの拍子にどんな凡人でもあっさりなれちゃうんですねぇ。ドラクエとかジャンプとかメジャーな少年誌のファンタジー主人公とは、そのへんが決定的に違うところなのかなと思います。
さてですね、しゃど地蔵は仏教哲学とか好きなんですけど、これを考えていて、仏教で言ったら「浄土宗」と似てるなって思いました。
もともとの仏教は、自己啓発セミナーみたいな団体で、当時インドで主流だったバラモン教の神様に頼らず、自分自信の精神を鍛え、世界に対する己の感じ方などを変えて「苦しみ」をなくして幸福になろう…とかそういう感じの宗教で、原始仏教とは「修行」と不可分でした。現在でも上座部仏教(原始仏教に近いやつ)の伝統を受け継ぐタイでは、成人男子は一度出家するのが習わしです。修行してないやつは仏教徒を名乗れません。
でもそんな仏教はハードルが高いというか、一般的に難しすぎるんで、だんだんイージーになっていきます。仏教がスタートして200年後くらいに出来上がった大乗仏教ではいつしか優しい仏様が僧侶だけでなく一般の人々を神様的に救ってくださるという話になってます。で、その極地たるのが日本の浄土宗で「南無阿弥陀仏」(阿弥陀仏様に全て任せます)って宣言しまくるだけで、基本的にメンドイ戒律とかなんもなしで、優しい仏様が絶対助けてくださるっていう宗教になりました。浄土宗はとてもわかりやすくて、誰でも成仏できたため、それまで日本で貴族などインテリのオタク趣味みたいな感じだった仏教が、一般大衆にもめちゃくちゃ広まっていきました。
多分宗教って究極的には「神様好き」って思うだけでOK。っていうのが一番普及するもんなんでしょうね。
そう…お経なんていう難しい宗教哲学書はオタクしか読まねぇ。ちゃんと勉強すれば面白いとか言ったところで、長ったらしくて読むのが疲れる本なんて、イマドキ誰も読まねえんだ。
神とは、信じる者には無条件で幸福をもたらすもの。
これって何かに似ていると思いませんか?
そうです、「なろう系」ファンタジー作品です。
指輪物語とかハード系と言われる作品ほどその世界観は奥深いですが、代わりに難解でコアなオタクにしか読み解けず、やがてライトノベル(大乗仏教)が発明され、さらにはもっと簡単なのがいいよーって思った人々が、上記した超イージーな「なろう系」とかに流れているのです。「なろう系」は世界観が薄いだのご都合主義だなどと批判されてますが、実際のところ、誰にでもなれて、無条件で最強で、美少女たちに崇められる主人公こそが、最も多くの衆生を救う宗教なのですよ。
物語を信じるだけで、あなたも私も異世界(極楽浄土)へってわけです。
じゃあファンタジーは「なろう系」が終着点なのか?というと、実はそうではありません。例えば浄土宗は行き過ぎたイージーさを批判され、もう少し本格的な要素を持つ仏教宗派が勃ったり、再評価されたり、といった歴史を辿りました。やがて「なろう系」に親しんだファンタジーファンが再びオタク化するという揺り戻しが必ず起こるはずで、アマゾンレビューが荒れるなどの形ですでに起こっています。で、また難解になり、イージーになり、難解になり…って歴史は繰り返していくのではないでしょうか?
個人的にファンタジーはドラクエ程度の湯加減が一番好きなんですが、結局ドラクエが一番好きっていう人は多いと思います。それはたぶん難解さとイージーさのバランスがとれているからで、だからこそドラクエは時代の波を超えて愛され続けるのでしょう。
以上、「なろう系主人公は現代社会の浄土宗なのか?」でした。