AI作画技術の未来予想

今日は発展が著しいAI作画技術の未来予想をします。(敬語の気分の日なので敬語で書きます)

学習AIによる画像生成は、数年前まで悪夢のようなグロ画像だったのですが、ここ1~2年ほどで目まぐるしく進化しました。それでも最近は少し発展スピードが鈍化したかなという印象がありましたが、先日、下書きのような絵を描いたらそれをリアルタイムでAIイラストの完成原稿として生成する技術が登場して驚きましたね。全部手作業でやるのにくらべて、スピードは100倍とかじゃないですか。

AIイラストは自分でも少し前、Stable Diffusionで遊んで出力してみたりしたのですが(↑みたいな感じで)、やっていることはプログラミングに近くて、AIが気まぐれに出してくる絵の選別作業を繰り返すガチャみたいな感じでした。もちろんその制限の中でも職人芸のような工夫によって素晴らしい絵を作り出す余地はあるのですが、個人的には運任せすぎて全然楽しくなかった。手で描いたほうが早いって感じ。

ところが、今回のようなリアルタイム生成技術の登場によって、プログラミングだったAIイラストがGUI(グラフィックユーザーインターフェース)に統合され、テレビゲーム感覚で、イラストを描くように出力されるイメージを操作できるようになりはじめた。これによって、本格的なAIペインティングソフト開発への道筋が開かれてきたなという印象。この違いは本当に大きくて、まだまだ試作段階という感じですが、将来的にはざっくりラフを描いたらAIが演出意図を読み取ってくれてすぐに絵が完成するソフトを、ClipStudioPaintやPhotoshopみたく直感的に扱えるようになりそうです。

と言っても誰でも簡単にプロレベルの絵師になれる時代がやってくるわけではないと思います。演出意図をデザインするセンスのない人が描いたら今と同じで「上手だけどつまらない絵」にしかならないでしょう。AI絵は結局、学習に基づく条件反射なので。しかし、潜在的なセンスがあるけどデッサン力がないような人たちがこれからは神絵師並の画力を手にするようになっていく。3DCGクリエイターのように、素材屋さんから絵柄のアセット(自らドナーになった絵師の学習データ)を購入して、あとは構図を指定してAIに描かせる時代がやってくる。

構図の指定は一種の画力がいる作業工程ですし、AIは人間の意識の全てを読み取ってはくれませんから、細かい調整や、アセットにない素材の調達は手作業になる。ボーカロイドに歌わせる打ち込みDTM音楽のような感じかもしれませんね。演奏力や歌唱力の制限が無くなったとはいえ、そのような作業は誰にでもできるわけではありません。

その先の未来の絵師は、自らのセンスとAIの処理能力を合体させて、サイボーグ状態で絵を描くのが当たり前になっていくと思われます。もちろん全部手で描いた絵も味はあるし、手編みのセーターのような付加価値や、芸術的価値はあるでしょうが、だんだんと商業漫画などのコストパフォーマンスが求められる分野ではメインストリームでは無くなるでしょうね。手書きは時間がかかりすぎるし、クリエイターの画力に品質が左右されてしまう。さらなるAI作画技術の進歩を前提として話を進めますが、ベースや手がかかる箇所をAIに任せて、絵師はアートディレクターとしてそこに自分の画力を上乗せするスタイルが主流になりそうです。というか昔から、そういうのって画家は弟子やアシスタントにやらせていたことなので、AIはそのへんの作業を超低コスト、超高速でやってくれているだけと言えますね。

そしてAIの話するんだったら避けて通れないのが、アンチにめちゃくちゃ叩かれてる話。

初期のAI叩きといえば著作権法違反だとか、盗作じゃないかという指摘でした。

個人的に違和感がある点について言及したいのですが、盗作の被害を受ける可能性があるのは超一流のプロの人だけで、ほとんどのアマチュアや「ぼちぼちのプロ」も含めて、よほど上手な絵以外はノイズにしかならないので学習に使われません。無関係な人が被害者意識を募らせて怒っているのです。このことで超一流のプロの絵を無断で素材にすることが正当化されるロジックとして通用するわけではないですし、わかってて義憤に駆られるのは構わないと思いますが、少なくとも、被害者意識のある人達の99%が被害者ではないという状況はいかがなものかと思います。この点を誤解している人が多すぎるため、集団ヒステリーによる怒りが渦巻いているという面もあるのではないでしょうか。

その上で、「超一流のプロの絵」を学習させることは問題かどうか、AI技術の著作権問題に関しての話をします。色々議論がありますが、文化庁の見解ではパッとみて同じ絵じゃなかったらセーフらしいです。まあ、人間が絵を描くときと同じだよっていう説明がされております。「巨人の肩に乗る」という言葉がありますが、有史以来、AIと同じで人間だって誰もが先人の絵を真似して描いていますから「真似っ子禁止」みたいな法律はありません。もしあったら人類の芸術活動は成立しません。その「絵師」が仮にレオナルド・ダ・ヴィンチだったとしても、真似っ子禁止だったら原始時代の土器に描かれた「オリジナル表現」からやりなおしです。AI禁止はなおさら無いですから、人間に対する法律がそのまま適用された場合、「法的には」問題ないそうです。著作権とはあくまでも「個別の作品」を守るものであって、それら作品を参考にして別の作品を作る行為は芸術として認められています。

とはいえ、「感情的に」、何年も絵柄を磨いてきたプロがいきなりパクられるのは溜まったもんじゃないという意見があるのもよくわかります。

ただ、それって人間も絵柄パクろうと思えばパクれますし、たまに有名作家の影響が強い人いますけど、露骨にパクった側はパチモンってことになってあまり評価されないですよね?AIも同じじゃないかな?パクったところで尊敬はされず、消費されるだけ。絵柄を発明した人は、これからも先駆者として特別に評価される気がします。絵柄をそのままパクるという行為が「感情的に」敗北した結果でしょう。なお、実際には、AIは様々な学習データがミックスされるので、特定個人を真似たような絵柄になるケースは意図的にやらない限り、稀です。

さてこのように、法律に詳しい人やAI技術者が論理的な弁明を続けているのですが、のらりくらり無限にゴールポストが移動してAIイラスト技術は批判されています。特定個人の話ではないのですが、AIアンチ勢はずーっと新しい理由を探して叩いている。ひょっとして本当は理由なんてどうでもよくて「嫌いなもんは嫌い」っていう嫌悪感が原動力にあるのではないでしょうか。「AIべつに好きじゃない、自分は興味ないな」で済まない人があまりに多すぎる。何が嫌いなのかな?

これは僕の勝手な仮説ですけど、AI技術を使う他人に、自分(≒推してる絵師)と同じ立ち位置に立たれたくないという怒りを感じてるんじゃないでしょうか。ネットを見てて思いますが、AI技術に一番怒っているのが、神絵師本人ではなく、神絵師を目指して燻っているアマチュアの人たち、あるいは、絵師に憧れるファンの人たちなんですよ。彼らは絵師ヒエラルキーの下層で苦しみながら自分なりに努力をしたり、絵師を崇拝してたりする。そんな彼らが喉から手が出るほど欲しがった「画力」を、何の努力もせずに機械の力で手に入れる人間がいると聞いて、許せない気持ちになっているのでは…

僕みたいな半端者がいうのもなんですが、一応長年頑張って自分で絵を描いてきた漫画家として、そういう気持ちは理解できます。しかしそれって、身体障害者がサイボーグ技術で健常者同様の日常生活を送れるようになった時代に、自分が優位に立ちたいからって機械の身体を取り上げるような意地悪と同じではないですか?

もっと具体的に、スポーツに例えるならばどうでしょうか。生身のアスリートがサイボーグをチート行為だと感じる気持ちはわかります。しかし芸術はスポーツではない。アスリート目線では反則かもしれないですが、鑑賞者目線では「良いものは良い」わけで、感動に反則はない。海賊版同然の低レベルなパクリ行為はさすがに面白くないですが。

生身で頑張るホモ・サピエンスと、それを応援したい人がいるならば、そういう趣味の人が集まるスポーツリーグを作って特別に評価すればいいと思います。僕も芸術家の感性によって丹精込めて描かれた手作り感のある絵は大好きです。しかし人間が手で描いた絵の価値を誇示するためにAI技術を利用して作られた芸術作品のネガティブキャンペーンをする必要はありません。芸術を愛する人や、芸術家は「表現の自由」を尊重するのが本来あるべき姿勢ではないのでしょうか。新しい道具としてAIを活用する芸術家にも、表現の自由はあるのです。

以上がこのAI叩き問題に対する僕の個人的な感想です。

さて、AI技術の善悪はさておき、やがて訪れるであろう未来ではどうなるでしょうか。サイボーグ絵師はしばらくの間はズルだなんだと言われるでしょうが、そのうちAI技術を併用したほうがハイクオリティになる「やんわりシンギュラリティ」な瞬間が訪れるはずだし、そうなればサイボーグ絵師にも熱心なファンがつく。やがてAI技術を取り入れないクリエイターの大部分は品質とスピードの競争に負けます。泣いても笑っても進歩し続けるAI技術を利用して作られた作品群が、人々を感動させる時代が必ずやってきます。そういう作品を当たり前のように楽しんで育った若者が増えてきて、世代が入れ替わっていくと、人々の価値観はガラリと変わる。

歴史を鑑みると、文字が発明されたばかりの時代には「丸暗記」がインテリの特殊技能だったので、筆記は知への冒涜だという批判が根強くありましたが、今はそんなこと誰も思っていません。ずっと思っている人々もいたらしいですけど、文明が進歩しなかったので滅びてしまいました。

たとえば芸能人の美容整形も昔は「ウソ・裏切り」みたいに言われてましたが、今じゃちょっとオシャレな若い女の子はみんなやってますよね。なんなら美容整形を豊かさの象徴と捉えて、顔面の施工費をSNSで自慢したりする人までいる時代になった。そういう感じで、大衆はAI技術がもたらす「高品質・感動・便利さ」には勝てないんで、しばらくのあいだは色々諍いがあるでしょうが、結局AIイラストが一般化して、非道徳的な技術であるとの批判にさらされた時代は忘れ去られるでしょう。

個人的には、このような技術革新を悪いことだとは思いません。今より多くの人が芸術を作ったり、観て楽しんだりできるようになるわけですから。僕は自分の手で上手な絵を描くために努力してプロの漫画家になった人間ですけど、若い人がそのような遠回りをせずに作品を制作できるのであれば、そうさせてあげたいです。まあ、センスで叩き潰してやりますけどね。素人がナイフで武装して物理的に強くなったところで、長年格闘技やってる人間と戦ったら勝てないです。全員がナイフで武装して剣士として戦うならば、なおさら日頃の鍛錬が物を言います。絵師の人は堂々と真剣勝負して、素人が同じ土俵に上がったことを後悔させてやりゃーいいんですよ。AI技術の発展に対して僕は肯定的に捉えていて、ワクワクしています。

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