漫画学校の三権分立

こんにちは。漫画講師のしゃど地蔵です。
今日は漫画講師業界を成立させている重要な基幹システムでありながら知られざる「三権分立」システムについて解説していこうと思います。

この考え方に気づいたきっかけは、最近「創作論界隈」がめっちゃ荒れてたからです。どんな感じで荒れていたかというと、「シナリオ創作論講師のAさん(仮名)」というかたがおりまして、その人が炎上というか、順番に詳しく説明しますが、批判を受けていたんですね。

こちらのAさんは随分昔からどこかの漫画学校(僕は詳細を知ってますが伏せます)で講師をしてこられた方で、講師としては立派なキャリアのある人。ネットに載せてる創作論も有名なハリウッド脚本術とかに準じたもので、間違っているものではなかった。

ただしAさんはクリエイターとしての実績は多分あまり大きくない。若い頃ちょっとプロとして活動してたけど、小遣い稼ぎで講師やってみたらそっちのほうが性に合ってて教育の道に進んだ、という感じの人なのだと思われます。(あくまで過去ポストや噂をもとにした僕の憶測です)

まあ講師って、実はあんまり天才的なプロじゃないほうが初心者と波長が合うから良かったりもするんですよね。野球始めたての子が習うなら、プロ野球選手よりも少年野球の監督やってる近所のおっちゃんのほうがいい事もある。小中学校の先生も学者ではない。そんな感じです。

というわけで、そのへんの売れてる人より初心者と波長が合うAさんの創作論はネットで人気を博し、SNSのフォロワーは1万人を超えました。Aさんは学校を介さずに自分の名義でセミナーを開催し、生徒を集めるようになりました。そこに「待った」を掛けたのが今回の騒動です。

とある「プロシナリオライター・ラノベ作家のBさん」という方がAさんの創作論を問題視しました。Bさんは売れてるプロの人なので、Aさんの創作論がまるで戯言のように感じるそうです。言われてみれば本に書いてあることの受け売りが多く、プロ目線では物足りないのは確かです。

最近Aさんはセミナーを主催。ファンの尊敬を集めるカリスマ的な存在になっていました。しかしBさんいわく、クリエイターが正体を明かさずに創作論を語るのはインチキであり、その理論で本当に面白い創作が出来るというならペンネームを名乗って「証明」しろとのこと。

おそらくAさんには明かせる正体がないか、何らかの事情で明かすのは無理か、強く言い返すこともなく、一方的にやられっぱなしでした。やがてBさんの主張に賛同するクリエイター反転アンチでAさんを誹謗中傷する人々が現れ…逆にAさんのファンはAさんを擁護し…

しまいにはAさんと創作論で交流があった関係ない作家さんまで「Aに箔付けをする仲間」として槍玉に挙げられ、界隈は荒れに荒れ…僕はそれを横目に観ながら、のんびりMTGアリーナで新弾のドラフトっていうのを遊んでて、こんなことを考えていました。

Aさんと僕らとで、何が違うというのだろう?プロとして他人に自慢できる作品のない講師なんて世の中には星の数ほどいるのに。Aさんよりはるかに高い授業料を集めている漫画の学校もたくさんある。それなのになぜ、Aさんだけが批判されてしまうのだろうか?

僕自身はAさんの創作論好きですし責める気はないんですが、一方で最近のAさんはファンから個人崇拝されたりしてて「調子乗ってるオーラ」があって、Bさんみたいな「創作論ガチ勢」に敵視されるのもわかる。この「調子乗ってるオーラ」の正体とは?という話が本題です。

さて、今回新たに発見されたのは、我々研究グループが「漫画学校の三権分立」と呼んでいる創作講師業界において免罪符を得るための基幹システムです。三権分立の3とは、学校・生徒・講師の3です。

その概要から申し上げますと

1.学校は看板を掲げて生徒を集めるが、「創作論」にはタッチしない
2.生徒は学校に「お金」を支払ってクリエイターの夢を目指す
3.講師は学校に依頼されて「創作論」を教えるが、生徒から直接お金を受け取らない

以上の手順を踏むことにより、不思議な力で責任の所在が極めてあやふやとなって、誰も怒られなくて済むのです!このネタバラシをしたら、講師生命がヤバいかもしれませんが身命を賭して発表させて頂きます。

未認可校や専門学校・芸術大学に至るまで、漫画学校というのが世の中にはたくさんあります。それらはときどきこのような批判を受けます。「どうせ就職の役にも立たないし、詐欺なんじゃないか」さらにプロの漫画家からはこういう意見もあります。「漫画なんか習うものではない。家で描いてればいい」

ハイ。実際そのとおりで御座います。漫画学校や芸術大学に通っても就職はできませんしデビューまで漕ぎ着ける人は「1割以下」です。それ以外の生徒は満足に作品を完成すらできません。作家として生き残れるのはさらにその1割。99%は食い詰める教育をして高い金をとる業界です。

例えば「美容師の専門学校でて90%が就職できません、プロになっても生活できるのは1%です」とか、あるいは「普通の大学を出て新卒就職率が10%」だったら社会問題になって学校ごとお取り潰しになりますよね。

学校、生徒、講師は数字だけで考えたら99%の確率で時間と金をドブに捨てる共犯関係にあります。「夢」を言い訳にしていても、そんな酔狂が許されるはずがない。しかし漫画学校…いや有名美大芸大まで含めた美術教育業界が今も昔もキラキラした栄光に包まれて見えるのは一体なぜなのか?

よく聞くロジックが「自己責任論」ですよね。漫画や小説なんてそもそも書けばいいだけなのだから、サボってるやつが悪いわけです。根性がないやつが悪い、本気で描いてりゃデビューくらいできるんだよーん。はい解散!って感じで90%の勝負すらしない負け組は無視されてます。

これは個人的な仮説ですが「完成すらできない90%」というのは創作の才能、もしくは自己管理能力、あるいはその両方がない人たちなのだと思います。これはほとんど遺伝子で決まっていて、努力で補える部分を含めたとしても最終的にデビューまで生き残るのは全体の10%くらいという「現実」がある。

ようするに、やる気あれば才能差をひっくり返せるけど、両方ない人はプロになれません。というわけで「知らんがな、ちゃんと教えることは教えてるよ」っていうのが講師が詐欺師にならない理由。ただ…講師は自分たちが教える創作論の限界を知っています。生き残るのは1%の世界だと知っている。

ビジネスマンが99%の確率で投資を回収できない欠陥品を売り付けてる状態って考えたら、なんかやばくないですか?バカしか買わないマルチ商法みたいですよね。やっぱり講師はやばい仕事なのか?っていうとそんなことなくて、世間の評価は「先生」です。エライ人扱い。

そう!ここで重要な役割を果たすのが「学校」です。学校は生徒から金を集め講師に報酬を出してますが、創作論にはタッチしない。「創作論?知らんがな」って顔をするわけです。創作論について知ってたら99%の負け組に未必の故意が成立しますが、学校にも明確な責任が無いのです。

「講師」は学校に依頼されて自分なりの創作論を教えにいきますが、看板を掲げて生徒を集めたりしないし、生徒から直接お金をもらっていません。出講してるだけだから創作論の限界を知っていても「創作論を売りつけていない」ため無罪となります。

「生徒」は創作論を知らないし、才能や努力の不足はやってみなけりゃわからないのではっきりと騙されてもいない。夢に挑戦し、たとえプロになれなくても同人サークルのような感覚で漫画学校という箱庭で体験する青春ストーリーとして学園生活は楽しいのです。お金は掛かるけどエンタメとして。

なお個人的に僕は生徒さんを甲子園球児的存在だと思ってて、プロ選手になれなくても漫画制作を一生懸命頑張った経験値を持って帰れば人生の無駄ではないので、部活顧問のような気持ちで指導してます。負け組になる99%に損させない工夫こそ講師として自分にできる精一杯の誠意だと思っています。

さて、漫画学校は国家資格もとれませんし就職の役にも立たない。満足に稼げるプロになれる人間は1%。経済的には99%の確率で金ドブです。その現実を踏まえた上で、Aさんの場合はどうでしょうか。Aさんは生徒を集める学校としての機能を自分名義でやっています。

実はこれが地雷でして、東京ネームタンクとかコルクラボとかネットで漫画を教えてる組織が結構ありますが、ああいうのって実質主任講師が経営してる会社だと思いますけど「学校」としての体裁を整えているんです。しかし、Aさんは自分の名前を掲げて、自分自身をブランド化してしまった。

「漫画学校の三権分立」をスキップすると何が起こるかというと、Aさんは「99%の確率で投資を回収できないサービスであるとわかっていながら生徒を集め、創作論を売ってる人」っていう状態になっちゃうわけなんですよ。用意された教室に出向く雇われ講師とは違うんですよね。

とはいえ胡散臭いけど稼げてるセミナー講師は世の中にたくさんいます。彼らの武器は実はセミナーの内容ではなく「過去の実績」です。何らかの業界人としての実績があるのなら、その人の理論は正しいことが「説明」できます。「エライ私のやり方を教えてやってるのに理解できない生徒が悪いのだ」と。

というわけで「漫画学校の三権分立」システムを使わない場合、イチャモンをつけられたら実績によるしばきあいとなります。こうなるとAさんは匿名ですから、反撃できずに叩かれ続けます。(原理を説明しましたがケンカはよくないのでやめましょう)

Aさんは正体を明かし、自分の創作論がどの程度信憑性があるものなのか正直に批判者や生徒さんへ説明すれば、批判も評判も落ち着くところに落ち着くのではないでしょうか。逆に謎のカリスマ指導者としてあえて「炎上」しながら目立ち続けてファンを増やすのもそれはそれでセミナー主のよくある姿です。

以上、「漫画学校の三権分立」でした。

あとついでにオマケとして、なんでこのような三権分立が必要になっちゃうのかという理由として「創作は魔法、クリエイターは魔法使いだから」という部分があると思うので、そのことについても書きます。

創作論は技能系の専門学校で教える「技術」や、普通の公立学校で教えている「科学」とは性質が異なります。創作に国家資格はない。創作論は描く人によって効果が変わるし「面白さは人それぞれ」だし「習ったとおり上手く描けないのは才能がないやつが悪い」など実験結果に再現性がほとんど無いんです。

仮にとある作家にとって合理的に組み立てられた創作論というのがあったとしても、それを実践する実験器具としての「脳」や「価値観」などのパラメータが人それぞれ違いすぎるので、バラバラの結果が出てしまうというわけで、証拠に基づく科学的な議論が成立する余地がありません。

算数だったら「1+1=2」だし、国語だったら「源氏物語の何ページ目にはどんなことが書いてある」とか、理科だったら「土に種を植えたら植物が生える」とか。科学は「実験結果」「出典」が明記されていて「正解」が存在しているんですね。でも、創作論には「正解」なんてない。

創作理論なんて名乗ってますが「日本創作論学会」があるわけじゃないし、全員が主観的に自分の創作論を提唱できます。講師の中には、全く・一切・なにも創作ができないという、素人みたいな人までいたりするカオスな状態。とにかく創作論には「正解」がない。正解がなければ不正解もありません。

創作論で「正解≒信憑性」を求めると「その主張をしている人の実績」という個人崇拝しか頼れる根拠が無いんですよね。これが前置きとして説明した、Aさん vs Bさんの騒動の真相だと思います。個人崇拝が反転して、人格攻撃に行き着いたわけですね。

個人的には、「偉い人が言ってたら正しい」というのも宗教の考え方なので疑似科学的だと思いますけど…。スポーツ選手が推薦するサプリメントや寝具みたいなもんで、偉い人の創作論を実践したら誰でも上手くいくという科学的根拠はありません。一応ギリギリ商品として成立しますけどね。

とはいえもともと「魔法」が使える人にとって創作論というのは有益で、自分なりに解釈して作品制作に活かすことはできます。語っていることはオカルトだけど、実在する魔法使い、それがクリエイターというわけですね。こういうと非常にかっこいいですね。そりゃみんな憧れますわ。

そして信じるものは救われるのが宗教の世界でして、漫画学校という箱庭で一生懸命修行してたら魔法使いになれちゃう生徒も出てくるわけです。僕の生徒でジャンプで担当ついた子が2人でました。才能ある子たちですけど、単純に講師である僕のマネをして賞に投稿したからです。これも学校パワーですね。

学校・生徒・講師の関係は宗教で言ったら寺院・信者・坊主の関係性とソックリです。信者が寺院に寄付をして坊主が派遣され神に祈るような形になっていれば伝統宗教だけど、坊主が「霊能者」を名乗って直接信者から金をとってたら、インチキ霊媒師とかカルト宗教の教祖みたいになるのでヤバいです。

99%金ドブがわかってるなら、個人崇拝はリスクが大きすぎる。生徒から直接金を受け取ってしまうと損をさせるのがわかってて騙す詐欺師のようになってしまう。個人で講師をやるならカリスマ教祖を目指すのではなく「占い師」程度にしておくか、学校の看板を立てる三権分立が大事だと思います。

おわり

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