「伝える力」の話

漫画、小説、映画、音楽。ジャンルを問わず芸術とは「記憶の疑似体験」だと思う。作者が作った記憶を読者は追体験し、感情移入して、自分の観た光景のように味わう。例えば、ここ(脳内)に最高のイメージがあったとしよう。それをどうやって読者に伝えればいいのか?このとき架け橋になるのが、「伝える力」だ。

今回の記事のテーマ「伝える力」とは、単純な画力や文章力とも異なる。もっと繊細な表現力の話だ。(自分の事を棚にあげて指摘するが)巧い絵や文章を作れるのに、感動が伝わってこないアーティストというのは、ハイアマチュア、売れないプロの界隈には、たくさんいるのである。逆に、下手でも「伝える力」が高い人は「ヘタウマ」のプロになっている。あるのと無いのじゃ大違い、はたして「伝える力」の正体とは何なのか。

僕は「伝える力」とはデータを送信する力のことで、インターネット通信における動画や画像のようなデータ圧縮技術に例えられるのではないかと思っている。

芸術作品を楽しむとき、観客は「作者のイメージ」をそのまま観ているわけではない。作者が脳内でイメージしたデータを他人の脳へデジタルコピーすることは不可能だから、クリエイターは様々な手段でイメージを伝えようとする。例えば、言葉で。絵で。音色で。イメージは一旦、別の形に変換されてから届く。このとき、様々な情報が抜け落ちたり追加されたりする。例えば目に見た光景言葉にした時点で本来の光景とは異なる点に注意されたし。あたかも画像や音楽ファイルみたいにデータ圧縮されることで、目、耳などの五感を通じて他人の脳に伝達され、その脳内でふたたび組み立てられてイメージは復元される。

あるときは絵で、あるときは文章で、あるときは、詞とメロディの組み合わせで、情報(感動)の伝達を試みる。画力や文章力があればとにかく情報量を増やしていくことはできるのだが、ここで作者の「伝える力」が低いと、何を伝え、何を伝えないべきか判断できない。こうなると、無駄なデータが増えて面白くなくなる。面白いけど読むのがだるい、なんて言われたりするかもしれない。説明不足で作者本人にしか面白さがわからないデータが入ったり、読者の価値観にあわない描写を迂闊に入れてすべったりして、ノイズだらけになって作品がバグってしまう。文字化けしたデータみたいに。

とても絵が上手なのに何も伝わってこない絵を描く人がいる。一晩中寝ないで魂を込めたラブレターなのに何も伝わってこない支離滅裂な文章を書く人がいる。このような漫画を描く人は、編集者から「ひとりよがり。面白くない。読者のことを考えよう」などと説教をされて、イジケたりする(←僕もときどき)が、「ひとりよがり」とはどういう事なのか?その作品は、少なくとも作者だけは、自分が想像したイメージに感動したから、それをモチベーションにして描いているんだから、面白いっちゃ面白いはずである。しかし「元のイメージ」を知っている作者にとっては、これこれ!って感じで、最高に面白くても、読者は苦労して作品を作った人の愛着なんかわからないし、それぞれ歩んできた人生、価値観も違うし。適当に組み立ててみて面白くなかったら、読まない。それだけの話だ。「伝える力」が低い人はその点に対して無頓着で、自分の面白さを他人に押し付けてしまっている。巧い絵、巧い話を書いても、読者に伝わらなければ、画力xストーリー=面白さに0を掛けるようなもので、すべて意味がなくなってしまうのだ。

漫画において「伝える力」は、演出力、ネーム力などという風に漠然と呼ばれているが、「演出・ネームが上手い」と「伝えるのが上手い」は、また違うのではないか。演出や画面構成が巧みなのに内容が入ってこない漫画は、結構ある。演出の巧さが空回りして、逆にわかりにくくなっていたりするやつ。そういう作品は上手くても「伝える力」が低い。記憶を組み立てるときの読者の気持ちを考えていない。いかにカッコイイデータを送りつけるか…っていうのしか作者が考えてないと、暗号データになる。これでは宝の持ち腐れだ。

実は漫画家志望者の多くも、元々の絵が下手、文章が下手、そもそものイメージも面白くないからわかりにくいだけで、ほとんどの人が「伝える力」不足なのではないかと思う。たまに絵も話もネームも下手なのに何故か心奪われてしまう、イメージを「伝える力」だけで受賞している新人さんとかもいて、これは本当にすごい。編集部には「作家性がある」などと評価される。ひょっとすると、伝える力とは、作家性のことなのかもしれない。人間誰しも歩んできた人生があり、それが作風となる。漫画なんて描こうと思えば誰でも描けるが、「クセ」の強い話は他人に面白さが伝わらない。だから、普通の作家は読者に求められる方向へと作風をすり合わせるわけだが、「クセ」が強いまま自分の好きなように描いて多くの読者に届く作家性を持った人間は稀だ。

「伝える力」は訓練で伸ばすこともできるが、画力や文章力のように、生まれつきの才能に左右される部分も大きいと思う。自分の作った作品を、一旦意識から切り離して、読者心理を想定し、論理的・客観的に分析する能力が(理詰めであるにせよ、直感的であるにせよ)求められる。これはとても難しそうだ。そのような大事な大事な「伝える力」が見過ごされているような気がして、自戒も込めてこの記事を書いてみた。

余談

僕が今まで見てきた中では「伝える力」を評価軸にする編集者は大手出版社のメジャー誌の人が多かった。たくさんの読者を相手にするメジャー誌の編集者ほど「伝える力」をみているのだと思う。絵も話も下手な作品がメジャー誌で受賞したり売れていたりする場合、それは「伝える力」が高いからかもしれない。よく観察してみてもらいたい。

そして逆に、マイナー誌はマニアックな題材が刺さればいいので、多少「伝える力」が低くても、読者から歩み寄ってくれて、通用する場合がある。二次創作などの既存ファン層に読者が限定された作品も一種のマイナージャンルと言えそうだが、読者は元々その作品が好きだから、かなり歩み寄ってくれるのだ。ただし、こういう世界では伝わりやすくなった「生のイメージ」で大勢の作家とガチ競争するわけだから、本当の大人気を得ようとすれば決して楽な世界ではない。

イメージを「伝える力」は大事なのだ…!と思うが、これを言葉で説明したり指摘したりする技術体系が、まだ世の中にはあまり無い。例えば絵ならデッサンの崩れやパースの乱れで指摘できる。ストーリーなら起承転結で説明できるが、「伝える力」はあまりにも漠然としていてわかりにくい。編集者さんがたまに著書で語っているくらい。技術的な研究が必要なので、これを読んで興味を持った頭のいい読者諸兄にも頑張ってもらいたい。

2件のコメント

  1. しゃどさんの文を読んで、「伝える力」が体系化しにくいのは異なる軸があるという理由と、受け手の「読み取る力」にも関わるからではないかと考えました。

    「伝える力」に関して簡単に言うと、作者の伝えたい事を論理的に言語化・可視化する言わば「理性的な伝える力」と、なんだか分からないけど訴えかけてくる物がある「感情的な伝える力」とでも言うような物に分けられると思います。(多くの場合、後者は『才能』と言われてしまいます。前者も別軸なだけでそうなのに)
    お世辞にも上手とは言えないルソーの絵にピカソが感動する事もあるように、(後付けで理論を加える事は出来ますが)どう見ても下手な絵・稚拙なストーリーなのに『なんかイイ』と感じられるなら、論理は無くてもその作者は「伝える力」がすごいと言って良いでしょう。

    次に、「読み取る力」に関しては「読者のニーズ」と言い換えられるかもしれません。
    それを考える際に、まず漫画を1つの水が詰まったタンクに置き換えます。面白い漫画は『面白い』という名の水がたくさん入っていて、つまらない漫画の水量はショボいです。
    そして、「読み取る力」は読者に通る無数のパイプです。そこを通って読者の体内に入らないと、いくらあってもその漫画の『面白い』は外に流れて出て意味の無い物になります。
    例えば、『絵の上手さ』に対するパイプが上の方についている(優先順位が高い)人が、「絵は下手だけどめちゃくちゃストーリーが良い漫画」を手に取っても、『絵の上手さ』に対するパイプが閉じてしまう為、その作品の『面白い』は全然流れていきません。
    『キャラクター』『世界観』『ジャンル』『なろう作品かどうか』等々、人によってパイプの数や位置は無数にあったり無かったりします。
    そうしてその人の体内に流れていった水量によって、その人にとっての漫画の面白さが決まっていくのだと思います。
    メジャー誌に掲載される作品には魅力を広く読者に「伝える力」(より多くのパイプに合った『面白い』を通す力)が必要で、逆にマイナー誌の場合は他のパイプへの水量が減ってでも特定のパイプへの『面白い』を最大限に流し込む。なので、メジャー誌はより広範囲な魅力に(大多数の人が持つ共通のパイプを探しているとも言えるかもしれません)、マイナー誌はより尖った魅力になっていくのかと。
    恐らく、今回の文章でしゃどさんが言う「伝える力」には、こういった「相手に合わせられる能力」も含まれているのだと思いますが、そうなるとやはり最初に書いた通り、合わせた訳ではないのに多くの人の心を揺さぶる「伝える力」もあるよなと言いたくなった次第です。(それがあると良い・無いと駄目という話ではないです。念の為)

    ここから蛇足の個人的な意見ですが、漫画雑誌の編集者の仕事は「漫画を面白くする」ではなく、「その漫画家が描く作品が面白いという事をより知ってもらえるようにする」だと思っているので、編集者さんには作品の面白いところを「読み取る力」が必要なのは大前提として、どうすればそれをより多くの読者に読み取ってもらえるかを漫画家さんに論理的に「伝える力」も大いに必要な物だと思います。

    長々と、とりとめのない文になってしまいました……
    しゃどさんの考えの一助になれば幸いです。

    1. コメントありがとうございます!パイプとタンクはとてもわかりやすいです!素晴らしい例え話に同意です。
      僕の中の理解も一層深まりましたし、他の読者の方にも参考になるかと思います。

      初期衝動で描いている若い漫画家志望の人ほど、才能とは別に読者を意識するのが苦手だとされていますが、きっとパイプのないタンクに水をためているのでしょうね。パイプ工事をしてくれる良い編集者さんと出会えたら、プロの商業漫画家になれる確率は上がる。漫画を読んだり描いたりしている人は世界中にいるご時世ですが、まだまだ日本人漫画家が多いのは、新人育成に力を入れている大手出版社の編集者にパイプ施工してもらえて有利だから、かもしれませんね。

      そしてがむしゃらに書いてあるがゆえのエモさが伝わってくる不思議な作品も確かにあります。
      謎は深まるばかりですが、後世の研究による真相究明が待たれますね。

返信を残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください